2014年02月

ソチオリンピックが閉幕しました。

互いに競い合ったライバル同志が、笑顔で共演するフィギュアのエキシビション。
日本人スケーターが4人もいることを、誇らしく感じ、とても感動しました。
フィギュアエキシビション

金メダルを期待されながら最終的に6位に終わったものの、 2日目のフリーの演技で、トリプルアクセル他の高難度のジャンプを含め、完璧に滑りきった浅田真央選手。
その様子をビデオ映像で見たときは、やはり涙がこみ上げました。

翌日各紙は、最後まで諦めずに力を出し切り、完璧な滑りを見せた、浅田選手の精神力と、トリプルアクセルという女子フィギュア界の最難度の技への強いこだわりへ、賛辞がおくられていました。

世界のトップスケーターが、
「感動した。」
「主役は浅田選手。」
といったコメントがあったようです。

私も、心から同感です。
私にとっても、主役は絶対的に、浅田選手です。

一方で、浅田選手への賛辞で沸く国内紙に対して、週末のNew York Timesは、もっぱら金メダルをとったロシア ソトニコワ選手と、銀メダルの韓国 キム・ヨナ選手のスコア差に対する疑問が大きく取り上げられていました。

A result that's difficult to figure. 
(理解しにくい結果)

残念ながら、国内紙のような浅田選手への論調はほとんど見られなかったのが現実であり、残念でもあります。 

国内紙でもあるJapan Timesも、2選手のスコアに関して、スポーツ面の大半を費やしていました。

Was Russian gold medalist Sotnikova five points better than Kim?  
No way.
(ロシア金メダリストのソトニコワ選手はキム選手より5ポイントも上回っていたか? けっしてそうではない)

New York Timesは、直接的な批判よりも、審判員構成の偏りや、スコアを"上ブレ"させた可能性のある構成要素を大きく取り上げ、結果に疑問を投げかけています。

各紙が主要読者を意識した内容を取り上げるのは当然です。

そのなかで、ロシア、韓国とは異なり、金・銀の争いに直接絡まない米国のメディアのスタンスは、異なる視点を提供していて、非常に興味深く読みました。

そして、もう1点感じたことがあります。

こういった論争の最大の被害者は誰なのか?

それは、巻き込まれた2人の選手ではないでしょうか。

自国開催の相当なプレッシャーのなかで、力を出したソトニコワ選手には拍手を送りたいと思います。
判定に対して、抗議的な発言をしていないキム・ヨナ選手も立派だと思います。

特に、まだ若いソトニコワ選手が、今後の競技人生のなかで、今回の批判に負けずに、成長し続けていって欲しいと思います。

今回ベストスコアを18点超も更新したソトニコワ選手が批判を覆すことができるのは、次回以降で高得点を叩きだし、実力を示すこと。

さらに、
個人的には、
今後の進退をまだ決めかねている様子の浅田選手が、引退をせずに、次回オリンピックでリベンジを果たしてくれたら、良いなと思います。

A superstar who never disappointed.

今朝のNew York Timesの見出しです。

ニューヨーク・ヤンキースのデレク・ジーター選手が今シーズン限りでの引退を発表したことに関する記事。

私は、大学時代に、NYに1年間留学した経験があります。
その時に、打率.314で新人王を受賞し、ヤンキースの18年ぶりワールドシリーズ制覇に大きく貢献したのがジーター選手。

以来、ヤンキースの生え抜き選手として、チームの中心を務め、その後のワールドシリーズ4度制覇の立役者の一人として、活躍してきました。

実力だけでなく、人気はメジャーリーグ一。
Jeter
まさに、二枚目ニューヨーカーですね。

更には、人格者として、誰からも尊敬される人物。

高校卒業後、ドラフト6位としてヤンキースに入団当初は、遊撃手としてマイナーリーグで56個の失策を記録し、その後、努力で守備力を高めたことは有名な話しですね。

チームメートとは分け隔てなく会話をし、個人タイトルよりも、チームの勝利を目指す。

2003年からは、ヤンキースの主将を務め、そんな彼のことを、ニューヨーカーは、The Captainと呼びますね。

松井選手がヤンキースで活躍したのも、ジーター選手の影響は大きかったのでしょうね。

同い年、同じマンションに住む、松井選手とジーター選手は、公私にわたって良き仲間であったと、報道されていますね。

松井選手が、他チームに移籍してからも、友情は続いたのでしょう。

JeterMatsui
 
New York Timesは、彼を以下のように評しています。

"He does not raise his voice, rarely shows irritation."
(「彼はめったに、声を荒げたり、いらいらを表にださない。」)

"Jeter smiled under pressure and showed the leadership skillls."
(「彼はプレッシャーの下でも笑顔を絶やさず、リーダーシップを発揮する。」)

アメリカ人のリーダーシップ像が読み取れます。

私たちのリーダーシップ像と、重なる点に興味を持ちました。

スター選手たちが、実績と人気が高まるにつれて、人格的に評価できなくなることが多いなかで、ジーターは一貫して、ニューヨーカーを裏切らない。

それが、
A superstar who never disappointed.
ということですね。

楽天の田中選手がヤンキースに入団し、ジーターの最後の1年を一緒にプレーする。

2人が活躍して、ワールドシリーズを制覇し、引退の花道を飾れたら最高ですね。

The Captainの最後の1年とヤンキースに注目したいと思います。

先週、ソチ五輪が開幕しました。
これから約1ケ月間、寝不足が続きそうです。
sochi photo
今年は、サッカーのW杯もあり、スポーツの祭典が盛りだくさんですね。

2020年には、東京が2度目のオリンピックのホストを務めますね。世界中からの訪問客が増える見込み。昨年の開催地決定のニュースをうけて、私自身、とてもワクワクしています。

アベノミクスの金融政策と組み合わさり、景気が良くなってきている印象を受けます。実際、先週の中ごろ、会食にでかけた際には、2月の平日にもかかわらず、お店はどこも混んでいて、街に活気があるように感じました。

2014年から2020年までは、残すところ6年間。

6年間は、中長期の自分のキャリアを考えるうえで、ちょうど良い期間ですね。

10年だと、長すぎて、イメージしづらい。
3年だと、近すぎて、今から努力しても成果を出しにくい。

今から種をまき、地道な努力を続ければ、大きな成果につながりえる。6年間とは、そんな程よいタイムラインだと考えます。

この6年間は、2020年にオリンピックのホスト国を成功裡に務めることだけでなく、この機会を活力や変革に活かそうと、政府、企業、そして個人が、様々な取り組みをすると考えられます。

今後1、2年では、アベノミクスの真価が問われ、消費税上げの影響もでます。海外では、中国の成長鈍化と社会問題の表面化、ユーロ問題の再燃可能性、その後、アメリカ大統領選など、いろんな変化も想定されます。

短期的な株価の変動、景気変動は、当然あるものでしょう。しかし、6年間という、中期視点では、国内の活力は、一定程度維持され、緩やかな好景気が続く可能性が高いのではないか、と考えています。

自分自身、きちっとした準備をしていきたいと考えているのは、2020年の東京オリンピックのあとに続く、時代です。

好景気が続いたとしても、日本のGDP成長率はせいぜい2.0%。一方で、成長が鈍化するとはいえ、中国の成長を7.0%と仮定します(7.0%は現状維持に近いですが)。

6年間で、

日本は、1.02の6乗で、1.12倍に。
中国は、1.07の6乗で、1.50倍に。

ここからの6年間で、中国の経済規模は今より1.5倍に伸びる一方で、日本は1.1倍にしかならない。2国間の影響力の差は、更に広がっていきます。

さらに、国内では、オリンピック需要によって、好景気が続き、過熱化するとすれば、2021年には、不景気に突入する可能性もある。

2020年には、いよいよ首都東京の人口が減少しはじめると言われています。

2010年から本格的に人口減少が始まった日本ですが、一極集中化では、都内にいると、日本の人口が減少しはじめ、経済力の源泉が弱まっていることを、日常生活では、あまり実感できません。

それが、いよいよ6年後に始まる。

今後6年間、浮かれた気持ちで過ごしていくと、あっというまに時間が過ぎ、2021年に、厳しい現実に直面する。

果たして、その時、自分は、社会で、必要とされる人材でいられるだろうか。

この6年間を充実した期間として、自分自身の価値を高める、しっかりとした努力を怠ると、2021年、中年の私は社会で不要の存在になっているかもしれない。

ソチオリンピックの開幕式をみながら、2020年の東京を待ち遠しく思う反面、強い危機感をいだきました。

新たに当選された舛添知事に頼る他力本願ではなく、自分自身努力を続けたいと考えました。

まずは、短期的には、寝不足と格闘しつつ、自分磨きを怠らないようにと、心の片隅で自分に言い聞かせました。

1月末のある日、寒空の下、青山通り沿いを表参道駅に向かって歩きながら、考えさせられることがありました。

青山学院大学で准教授を務める高校時代の同級生の誘いで、彼の授業において、大学生たちと、グローバル人材について、ディスカッションをする機会がありました。

青学
300
人弱の大学12年生たちにマイクを向け、彼らの意見を聞き、質問を受けるなかで、私自身とても刺激を受けました。大学の門をくぐり抜けながら、帰り道に深く考えさせられました。

高い意識で複数の質問を投げかけてくる学生もいれば、階段教室の後ろのほうで、退屈そうに、目を伏せている学生もいる。

クラスルームでマイクを握っている自分は、一瞬そういった学生に、残念な気持ちが湧きました。

でも、私は、そんな学生たちに大いに共感できます。
自分の大学
12年生当時を振り返ってみると、彼らを批判する権利もないのです。帰り道に、自分の学生時代を思い返して、強くそう思いました。

偶然にも、その数日後に、大学入学直後に参加をしたサークルの仲間で、その後一緒に幽霊部員化した同志たちと再会する機会がありました。

「俺たち、大学12年のとき、何をやっていたっけ?」という話題で盛り上がりました。もちろん、授業は休むし、サークルにもでず、体育会に打ち込むわけでもなく、それでも飲み会やらで忙しい学生生活だったと記憶しています。 

最近の学生は、内向き志向だとか、元気がないとか、批判の声を耳にします。
自分も、ついつい、そういう議論に加わってしまう。

でも、ふと振り返ってみると、学生を批判する権利は自分にあるのだろうか? 

もし、今の学生が、自分たちよりも、内向きで元気がなくなっているとすれば、そんな社会を作っているのは誰だろう? 

そして、実は、
私がこの日感じたことは、内向き志向というよりも、学生の二極化が進んでいるということです。
意識の高い学生の目は鋭い。

年功序列の社会に反発していた自分も、ふと気づくと居心地の良さを感じる年になってきました。
そんな社会を変えずに加担しつづけた張本人なのではないか?

2014年、改めて考えさせられる1月を過ごしました。

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